昨日の研究室にて
院生と指導教官の会話
昨日研究室で研究テーマについての話をしていたときの、私と現職の院生と指導教官の会話。
「中央研修の講座、期待してるんですよね。研究のヒントになるんじゃないかと思って。」
「先生、教えてください。」
という私たちの受け身な言葉に対し、指導教官の先生に
「まったく、教員はすぐ教えてもらおうとするんだよな。」
と怒られました。
そしてさらに、
ストレートマスターの院生に
「それって(そうやって答えを聞いてしまうことって)教育の問題ですかね。」
と突っ込まれる始末。
色々と痛かったです。
私と生徒の会話
私が生徒に質問されるとき、
「どうしたらいいですか?」とか、
「数学教えてください。」
と聞かれたら、
「自分でここまで考えたんですが、どう思いますか。」とか、
「ここまでは分かったんですが、この式がわからないので教えてください。」
と聞いてね、と指導しています。
この教えは、その昔、北信越学生陸上競技連盟の幹事長をやっていたときに、
日本学生陸上競技連合(一番上の組織)の幹事長の先輩に
「◯◯先生は、『私は◯◯のように考えたんですが、どう思いますか。』って聞かないと返事してくれないよ。」って教わりました。
二十数年経ってもいつもそのことは意識しているつもりでした。
しかし、結局自分も同じように答えを教授に聞いてしまっていました。
知らず知らずのうちに受け身になっていたのかもしれません。
なぜ受け身になっていたか
大学院に来て3ヶ月、自分が教育に対し、あまりに不勉強で知らないことが多いことに気がつきました。
この20年、経験は積んできましたが、経験に頼ってきた感は否めません。
数学の教科指導はもちろん、クラス運営、進路指導、生徒指導、特別支援など、学校内の狭い世界だけでは情報は限られてしまい、なかなかスキルは身につきません。
唯一部活(陸上競技)の指導に関しては、積極的に研修に出たり、外の仲間と情報交換をする中で、スキルを高めてた方ではあるとは思いますが、基本となる学校教育に関しては、十分とはいえませんでした。
これまでずっと感じていた閉塞感は、そういった状況から生まれていたものだったのかもしれないと気がつきました。
結果として
そして何が起こったかといえば、20年分のブランクがあり、
「教えてもらう」というスタンスが強くなってしまっていたのかなと思います。
もちろん自分で本を読むし、このブログを書くにしても授業で習ったことが3だとしたら、残り7は自分で勉強し直して、書いています。
すべてが受け身ではないけれど、指導教官の先生と話をする中で、準備不足で対等に話せていなかったことは確かです。
というわけで、自分から獲得するために勉強しマス。
そして今思うこと
これから私が所属校に対して、何ができるのか。
「今自分が外から見て気がついたこと」をまずは伝えたい。
勉強し続けている先生はもちろんたくさんいるけど、
私がそうであったように、どうしても経験に頼っている部分は多くある。
それは決して悪いことではないのだけど、
それでもスキルは身につけていく必要があると思う。
気持ちは大事だけど、気持ちだけでは十分な指導ができるとはいえない。
実際のところ、学校で困っていることがあるかというと、
大変なことはあるけど、なんとか学校は止まることなく回っている。
なんとか回っているからこそ、変化を起こすことが難しくなる。
この状況の中、教員が主体的に学び、
変化していくきっかけをどう作っていけばいいか。
どう伝えれば良いか。
急激な刺激は、きっと拒絶反応を示す。
(私が逆の立場でもそうだと思う)
でも、研修の機会を設けたい。
忙しい先生たちに?
どうやるか。
よく考えてやらないといけない。
そんなことを考えた、昨日今日でした。
あぁ、今日も日記風になってしまいました。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
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