27 クラス対抗の是非

教育

最初に書いておきますが、このテーマで書き始めたものの、一つの論文に値するテーマであるため、十分なまとめができないかもしれません。
まとめきれなかった部分については後日、加筆修正していきます。

(最初に謝って、許してもらおうパターン)

過去のこの日

Facebookに「過去のこの日」という機能があります。
「過去のこの日」に自分が投稿した内容が表示されるというものです。
私はこの機能が好きです。

5月、6月は主に部活関係。
5月は地区総体と県総体、6月は北信越総体の結果が流れてきます。
過去の選手たちの頑張りにエネルギーをもらっています。

合唱コンクール

そして7月のこの時期は、文化祭の合唱コンクールの投稿が流れてきます。
ちょうど3年前の今日が、
前任校での2回目の担任の3年生最後の合唱コンクールでした。

私の前任校は文化祭でクラスの合唱とダンスに力を入れている学校でした。
クラス数も多い学校であったため、(赴任当時は9クラス、現在は7クラス)
非常に盛り上がりました。
合唱コンクールは生徒たちのみならず、担任も非常に思い入れの強い行事でした。
自分のクラスの合唱を余裕を持って聴けないほど、毎回緊張していました笑
(今回はダンスに触れませんが、ダンスもめちゃ熱いです!)

卒業時にちょっとしたムービーと、3年間の合唱の動画はクラスの生徒たちに、Dropboxを使って、シェアしていましたが、
今日3年ぶりに簡単に再編集して、YouTubeの限定配信のURLを当時の生徒にLINEで送りました。
(これから担任をする先生へ、DVDは今時の子どもはあまり見ないので、スマホで見れた方がいいです!)

今回、深い理由があって動画を送ったわけではありませんが、
聴き直してみたらすごく良かったので、ついシェアしてしまいました笑
控えめに言って最高でした(^^)

クラス対抗の行事の意義

合唱コンクールであったり、体育祭、クラスマッチなど、クラス対抗の行事は多数あります。
学年担任制など、クラスの形にこだわらない流れも出てきている中で、このような行事の良さと課題とはなんでしょうか。

私の担任していたクラスの場合

長野県の公立高校は大体3年間、クラス替えも担任も変わることなく持ち上げです。
(このことについては、いつか機会があれば書きます。)

私が前に担任していたクラスを経営をする上での
学校行事の最上位目的はなんだったかと、
1年の4月当初の学級通信を見直したところ、
「何事においても結果を求め、挑戦していくこと。」
とかなり強いことが書いてありました(汗)

少しだけ補足させていただくと、学校には様々な行事があるのですが、
「事前にあまり準備をすることなく、当日だけ楽しむ」という形になりがちでした。
ですので、「クラスのために、自分が何ができるのかを考えよう。」
と言う話をしていました。

スポーツが得意な人は、体育祭やクラスマッチ(スポーツ大会)で頑張れば良いし、音楽が得意な人は、合唱で頑張ろうという感じです
「自分ができるところで、クラスに貢献しよう!」と話をしました。

その結果、何が起こったかと言うと、
例えば5月に行われる体育祭では、
障害物競走で「ダンボールを輪にしたものをキャタピラにして進む」種目がありました。
出場する生徒は、
家で自分でキャタピラを使って練習していました笑
普通しませんよね。もう、ダントツに速かったです!!
また、「パン食い競争」に出る生徒は
家でパンを吊るして何度も練習したそうです笑
想像できますか!!
家で空中に吊るしたパンをジャンプして口にくわえる練習を毎日繰り返してるんですよ!本当に面白い。
(ちなみに当日思いの外、パンを吊す位置が低くて動揺していましたorz)
そのほかにも、大縄跳びのために、エア大縄跳びで練習したり、
(縄を貸し出してもらえなかったので)
googleで大縄跳びのコツを調べて練習しました。

本当に笑っちゃうくらい、みんな勝利のために工夫をしていました。
これは、非常に価値のある時間だったと思うのです。

競争しない体育祭

「競争しない体育祭」の成功から考える…目標の在り方とは? 
 工藤 勇一(前 千代田区麹町中学校2019.3.27)
https://gentosha-go.com/articles/-/20541

この記事では「生徒全員を楽しませること。」を最上位目的と掲げられています。
私は、工藤校長や、麹町中学の生徒たちの決断ややり方に対して、リスペクトしています。すごく良い取り組みだと思っています。
この記事(この記事のシリーズ)は本当に考えさせられることばかりなので、是非ご一読して欲しいものではあります。

このやり方から考えたら、私のやり方は真逆とは言わないまでも、勝利を目指しているので、対極にあるものです。

では、私の掲げた、「何事においても結果を求め、挑戦していくこと。」
は間違いだったのでしょうか。

目的がはっきりしていることが大事

私は自分のやり方の弁解をするわけではないですが、
大事なのは「最上位目的に対してどう行動するか」
と言うことなのかなと思っています。
麹町中学の例では、校長が課した「生徒全員を楽しませる。」という最上位目的に対して、毎年行われていた全員リレーについて議論した結果、

彼らが注目したのは、1割の生徒たちの「やりなくない」理由でした。そもそも運動が苦手で走りたくないとか、女の子に抜かれるのは恥ずかしいといった、少数派の意見を取り上げながら、最上位目的である「生徒全員を楽しませること」を達成するためにはどうすればよいかを考え、何度も何度も話し合いを続けていきました。その中で、「全員リレーを選択しない方が全員のためになる」という考えに変化していったのです。その時点では多数決を取るまでもなく、当初9対1だったものが、0対10になりました。

と生徒たちは決断を下しました。
この決断までのプロセスは本当に意味のあるものです。
そして「生徒全員を楽しませる。」という目的に対して、準備して結果、

2018年5月。本校の体育祭はとても感動的なものになりました。閉会式では、感動のあまり泣き出す生徒もいました。普段は大きな声で歌うことがない校歌斉唱ですが、応援団の一人が壇上に上がって全身を使いながら吹奏楽部を指揮し、みな、誇らしげに、それぞれの楽しさを全身で表しながら、ノリノリになって、壮大な歌声が校庭に響き渡りました。私は本当にびっくりしました。生徒たちが、とても誇らしく、学校の原点は、こういうものではないかと感じ、うれしくなりました。

と書かれています。

私のいた学校では、体育祭は運動能力が高くない生徒でも参加しやすい種目が用意されていたため、参加に関してはあまり多くのストレスはなかったようには思います。(素晴らしいです。)
その中で、クラスの生徒たちが
「クラスの勝利のために、何をすべきか」と結果を求めて準備したこともまた価値のあることだと私は思っています。

もちろん最上位目的をどのように設定するかと言う、議論はありますが、
それは時代の流れとともに移り変わりやすいものでもあります。

工藤校長も

教室の壁に貼った「目標」に意味はあるのか?

と言っています。その目標をどう活かすかが大事なのかなと思っています。

一教員として、今のトレンドだけを追わず、
どこどこの学校がやっているから良いんだ。」と、
思考停止に陥らず考えて実行していくことが大事なのかなと思います。
(何も考えず、自分の経験でやっていくことに関しては本当に賛成しかねますね。)

工藤校長の記事にもあったように、楽しめなかったクラスがあることも事実なのです。どうしても担任やクラスのリーダーによって、差は出ます。

ただ、そのようなクラスがずっとマイナスであったかというと、実はそうでもないのです。徐々に徐々に自分たちの力で、「生きる力」を身につけていくのです。
(急に「生きる力」を出してしまいましたが、他のクラスを見ながら、徐々に本当に成長していくのです。)

だから、一概に競争が否ではないと感じています。

合唱コンクール(再び)

話は合唱コンクールに戻ってきます。
前任で2度目の担任のときの合唱コンクールの時に、良かったなと思う事は、
「担任たちが比較的、合唱に関して素人であった」
という事です。
気持ち(気合い)で指導はできますが、技術的な面は生徒たち次第でした。
(その学校で2度目の担任、という先生も多かったため、慣れていた人の方がやりやすかった面はありますが、結果だけ見ればそこは問題ではありませんでした。)
このような校内の行事で「突出して専門的な指導をする担任」が出ると、他のクラスは途端に興醒めしてしまうのです。
(すべてが専門的な指導を受けられる環境にあるのであれば、話はまた別ですが)
なぜなら、目的が勝利のみになってしまうからです。
もちろん、良い歌は歌えるそのクラスは幸せですが、
他のクラスが挑戦しようという気持ちがなくなってしまうからです。

結局、何が言いたいかというと、学校行事は難しいです…。
微妙なバランスで成り立っています。
みんなにとって、ギリギリ乗り越えられるという目標設定が適切なのかもしれません。

そう言った意味で
前回担任をさせていただいたときの合唱は、
多くのクラスがチャレンジし挑んだ結果、どのクラスも思いのこもった素晴らしい合唱で、どのクラスが賞をもらっても、良いというものだったのかなと思っています。
担任もムキになったりしながら、試行錯誤し、本当にドキドキでした。

学年担任制

麹町中学のように、学年担任制を敷けば、クラスごとの担任の格差も無くなるので、本当の意味で生徒たちの力次第になってきます。
教員が、「私のクラス」に拘りさえしなければ、生徒たちにとって価値のあるものになるのかなと思っています。
ちょっとだけ教員は寂しいけど、でも大事なのは子どもたちだから。
そのようなやり方も、試していきたいという気持ちはすごくあります。

出会い

実は私の前任のクラスは1年金賞、2年金賞、3年銀賞でした。
生徒たちが選ぶ賞でも、1年、3年とトップでした。
しかし、私がアドバイスをしたことはほとんどなく、いつも廊下で練習を聞いていただけでした。
(いつも聴きながら、心震わせていました。)
クラス全体の雰囲気、リーダーのリーダー性、ピアノどれも良かったですが、
そのようなクラスの雰囲気を作ったのは、指揮者の存在でした。

(これを読んでくれたクラスの皆さん、◯之介の話をここで出すことをお許しください。私がみんな一人ひとりを大好きな気持ちは変わりません。)

指揮者

3年間指揮者をやってくれた生徒は、
野球部で文化祭と夏の大会の時期が重なるため、
いつも練習に参加できるわけではありませんでした。
中学時代から指揮をしていて、慣れていたようでしたが、
特質すべきはそのリーダー性でした。

合唱の練習といえば、「もっと男子声出してよ!!」みたいな怒号が飛び、
女子が涙を流し、男子が反発してより卑屈になっていく…
みたいな場面をよく目にします苦笑

しかし、彼が指揮をするとそうはならないのです。
男子がいい加減な気持ちで、グダグダしている時も、決して怒る事なく、一つ一つ話をしていきます。
また、曲に対する技術的な指導もしてくれていましたが、
それ以上に「感情を込めて歌う」ことを大事にしてました。
(だから、彼らが歌う歌が好きすぎて、今日もシェアしてしましました。)

曲を選ぶ際にも、曲の難易度よりも「気持ちを込められるか」を大事にしていました。
(何度かこの曲だと負けるかもしれないよ。とアドバイスしましたが、決して変えませんでした。そして結果的にそれが良かったと思っています。)

もちろん、彼がいい加減な事をしていて、怒ったこともありますが、すごく信頼していました。
「FFS理論」でいえば『受容性』が突出して高い生徒だったと思います。

これは私にできないリーダーシップであったため、本当にすごいなと感心しました。
彼から学ばせてもらったと言っても過言ではありません。
(私はすぐ怒っちゃうから)

クラスの他のリーダーたちも本当に素晴らしいものがあり、またどこかのブログで書かせていただければと思っています。

まとめ

とりとめなく、まとまりのない文章になってしまった事をお許しください。
ただ、学校行事に競争を組み込むか否かが問題なのではなく
「学校の行事の目的や理念」に対して、どう取り組むかが大事なのだと私は考えています。
やり方なんて、成果を出したもん勝ちなところはあります。
(この話もいつかします。)

繰り返しになりますが、どこかの学校の取り組みを真似するだけでは、価値は半減以下です。
その真意や目的をしっかり理解した上で、取り組んでいくことが大事です。
私も安易に考え、思考停止に陥らないように気をつけたいと思います。

私はこれまで3度担任をしてきました。
今回は前任のときの話に触れさせていただきましたが、
苦労はありましたが、今思うとどのクラスの時もすごく大事な時間でした。
(もちろん苦しくて泣きそうな時もありましたよ!!苦笑)

このブログを読んで、
「なんだ、私たちのことは全然触れてないじゃないか!」
と思った教え子もいるかもしれません。
ごめんなさい。またどこかで触れるね。大丈夫。

最後に、私がどのように生徒たちに思われていたかがわかりやすい動画で終わりにしたいと思います笑
(3年の時を経て、使わせてもらいました。)

文化祭の後夜祭で、
「生徒 vs 3年担任」で
フリースロー対決するシーンです。
これを見ると、私がどのような扱いをされていたかわかるはずです笑

ちなみに「コージ」はmiddle nameです笑

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
一人でも教職大学院、教員に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
楽しいよ。

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コメント

  1. くるみ より:

    懐かしいです笑笑

    わたしたちの時の話もお聞きしたいです笑笑

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