※注意 数学の話ではありません。
あなたに言いたい。
あの先生の厳しさは、あなたに本気で向き合っているからこそだと。
今日言いたいことはこれだけです。
で、終わりにしてもいいのですが、それでももう少し書きたいと思います笑
そのベクトルはどっちを向いているか
先生は一昔前に比べると、優しくなったように思います。
優しくなった要因
それはなぜか?
様々な要因はあると思います。
一昔前に比べたら(昔を語れるほどの年齢でもありませんが)、
残念ながら、世の中で先生が尊敬されなくなってきていることも、その要因のうちの一つだと思います。
先生と、生徒や保護者の関係性が変わってきていますね。
良くも悪くも昔は先生は尊敬される存在でした。
でも今はニュースになり、やり玉にあげられるし。(特に先生と警察官)
何かあると、すぐに学校や教育委員会に電話やメールがきます。
そうなってくると、先生が子どもたちや家庭に対して、慎重にならざるを得なくなっているのではないかと思うのです。
また、教員に限らず社会全般で見ても、厳しい指導がパワハラとなることもあり、教員同士の中でも、気を遣うことは増えました。
で、結果として何が起こったかというと、みんな優しくなりました。
世の中が優しい方向に向かっていることは決して悪いことではないのですが、
しかし、この優しさは、本当に良いことばかりなのでしょうか。
ここでの話は、「叱る」と「怒る」違いとかを議論したいわけではありませんので、多少の表現はうまく解釈してください。
どっちでも良いと思っている派
私は、優しいとか厳しいとか、褒めるとか叱るとか、別にどっちでも良いと思っている派です。(そんな流派ないですが笑)
何が言いたいかというと、
気持ちのベクトル(やじるし)がどちらを向いているか。
ということです。
私は、優しくても、厳しくても、先生からのベクトルが、先生から子どもに向かっていれば良いと思うのです。
逆によく見ると、先生が発した言葉のベクトルが生徒ではなく先生自身に向かっていることがあります。
ちょっと図説してみました(めずらしく)
こんな感じです。
優しくなったことは良いことです。
相手を想う気持ちがあって優しいのは素晴らしいことです。
しかし、自分の保身で相手に優しいとすると、それはまた別の話になります。
すなわち、気持ちのベクトルが相手(子ども)ではなく、自分に向かってしまっている場合です。
4つのパターン
uhiko(2020)によると、←論文風
教師の指導のあり方を、4つのパターンに分けられます。
生徒が子どもの成長を促すためにという観点で見てください。
優しい | 厳しい | |
ベクトルが相手に向いている | ① | ② |
ベクトルが自分に向いている | ③ | ④ |
①相手に向いていて、優しい
①の指導をできる人は本当に素晴らしいです。相手(子ども)も尊重される気持ちになるので、お互いに気持ちよくできますね。常にこれができる人、尊敬しています。
ただ、案外これができる人は少ないように思います。
実は①と見せかけた③が多いのではないかと思っているのです。
②相手に向いていて、厳しい
②の指導はどうでしょうか。相手のことを思って厳しくすることは、かなりエネルギーのいることです。
今、厳しく接しられると、苦しくなってしまう生徒もいるように感じています。でも、私は②のように思いを持って、厳しく接してくれる人が自分の身近にいることは、本当に幸運でありがたいことだと思っています。
子どもはこういった先生に出会えたなら、その出会いに感謝し、ガンガンぶつかり合って欲しいと思います。ブログの冒頭の言葉はこれですね。
③自分に向いていて、優しい
③の指導を行う人が先生に限らず親にも増えてきているように感じています。良いようにみえて、あまり相手は成長しません。自分でも気づかぬうちに①と③が入れ替わっていることがあります。
その優しさは相手を成長させる優しさか、といつも考えることが大事ですね。
「ま、あの先生、お願いすればいつも許してくれるから、大丈夫でしょ。」
と思われていませんか。
④自分に向いていて、厳しい
②のつもりで④の人はめちゃ多いです。これが最悪ですね。子どもは苦しい。
私もこうなってしまう時がありますし、ありました。その厳しさは本当に相手を思ってのことなのか、もう一度考えましょう。
「自分の思いをただただ押し付けたいだけではないか。」「自分の実績をあげたいだけではないか。」私もいつも自問自答しています。
時代は進んでいます。昔ながらの押しつけは今はもう通用しません。
パターンはその時々で移動する
いつも自分がこの4つのパターンのどこかに固定されているわけではなく、その時々に応じて、移動していると思います。
特に自分が失敗したり、うまくいかなかった時は③や④のように、ベクトルは自分に向きがちです。
そういった場面で、気持ちを相手に向けられるかどうかは本当に大事なことだと思います。私もまずいことがあると、どうしても自分を守りがちになるので、できるだけ落ち着いて、客観的に見直せるようにと思っています。
うまくいかないと、自分を正当化しようと、生徒のせいにしちゃうことありますよね。
そして、「あぁ、あのときベクトルが自分に向いていたな。」と気がついた時は、勇気を持って「ごめん、悪かった。」と謝っちゃいましょう。これ大事です。
まとめ
遠慮せずに
私の話になってしまいますが、大学院のゼミや演習では、
「遠慮せず、厳しく内容について、意見が欲しい」と要望した上で、発表しています。プライドは捨てました。
なぜかと言えば、そうしないとどうしても皆、遠慮してしまうからです。
年齢的にもストマスの院生からしたらだいぶ上で、経験のない院生に比べて、経験のある私に意見をするのは勇気が要ります。
また、先生方も一応大人の私に気を遣ってしまうかもしれません。
自分を高めたいと思って、ここにいます。
なので、そのために必要な意見はウエルカムです。
本気で勉強する気がなければ、優しく成績や単位を出してくれれば、嬉しいですが、本気で勉強しようと思ったら、やはりしっかり向き合って欲しいと思いますね。
学ぶ側の姿勢によっても違ってくるようにも思います。
また、今回の内容は、先生同士の中でも言えることですね。
最後に
思っていたより、ちゃんと書けました。
実際のところ書きながら、アイデアが溢れてきました。図とか表とか。
ひょっとしたら何かの才能があるかもしれません笑
そして、あくまで私見です。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
Have a nice weekend!!
コメント