新学習指導要領
少し前に担任をしていた時に学級通信でよく「主体性」という言葉を使っていました。
特に何かに影響されたわけではないと思っていたのですが、
今思えば新学習指導要領に出てくる「主体的・対話的で深い学び」の「主体」の部分をどこかで耳にして、知らず知らずのうちに使っていたんじゃないかと思います。
(自分が高校生くらいの頃は、「主体的」って言葉を一度も口にしたことがない気がします笑)
私は大学院でのディスカッションで、小中学校の先生に
「高等学校の新学習指導要領についてどう考えていますか。」
なんて聞かれた時に
「すみません。勉強不足で…(汗)」
と申し訳なく答えてしまっているくらいダメなやつなんですが、
それでもそんなやつにも、意識していなくてもそれは少しずつ浸透しているんだと少し思ったりします。
(あまりに不勉強なので、これからはその意図を汲みとれるように、また人に伝えられるように、ちゃんと勉強します。すみません。)
ちなみに昨日はブログを立ち上げた後、夜中に調子に乗っていじっていたら、ドメイン をおかしくしてしまい、ブログのURLにアクセスできなくなってしまいました。本当に運よく、どうにか夜中の3時に復旧しました…良かった涙
今もなぜかiPhoneから見ると、facebookに貼ったリンクに不具合があります。
せっかく読みにきてくれた人ごめんなさい。
これからは出来もしないのに、カンでいじるのはやめようと思います。
さて、なぜ最初に「主体的・対話的で深い学び」について述べたのかというと、
私はずっと「これってどういう学びなんだろう???」って思っていたからです。
なんとなく聞こえは良いです。
しかし実際にやってみようと思ったら、難しいです。
「深い」って?ただグループワークで対話するだけじゃ深くはなりません。
教職大学院の学び
ちょっとだけ話が私のことになります。
「教職大学院」と「大学院修士課程」
教職大学院の仕組みについては、また後日書きたいと思うんですが、
私は元々「教職大学院」ではなく、「大学院修士課程」への進学を希望していました。
しかし今年度より、派遣先の大学院修士課程が廃止となり、「教職大学院」のみになりました。
その結果私は、高校の教員としては県から初めて「教職大学院」へ派遣していただくこととなり、今ここにいます。
こんなブログを書いていますが、初対面の人と接するのが苦手な私は、本当は
「修士課程」でひっそり?と論文や書物を読んで、自分と向き合って研究したいと考えていました。(暗いやつですみません)
しかし、「教職大学院」は現職の派遣された先生やストレートマスターの学生(以下ストマス)と「チームで対話しながら研究を進めていく実践的な場」です。(真逆)
ものすごく人との対話が求められます。上手くやれるか、とっても心配でした苦笑
コロナの影響でオンラインでの授業・ゼミが続いているので、直接会ってディスカッションしているわけではないですが、人と接すること(PCの画面越しだけど)、自分の意見を言うことにも慣れてきました。周りは良い方達ばかりで、今はとても刺激的な時間を送れています。
主体的・対話的で深い学び
そんな時、ふと気がついたんです。ふと。
「あぁ、今やっていることって「主体的・対話的で深い学び」だな。」と。
もちろん始まったばかりで、まだまだ、深いなんて言えない部分はあります。
でも、「ものすごくやる気があって主体的な現職の先生」と、「選ばれしストマス」が集まって、「専門性の高い指導教官」のもとで、それぞれが考えてきたことを尊重しつつも批判的に、対話し互いに深め合う。これはものすごく素晴らしく刺激的な時間です。
「学校でこれができれば良いんだよな。」って言うのは簡単。
でもどうやって学校での学びに落とし込むか、私にはまだわかりません。
私たちは相当に強い目的意識を持って、ここに集まっていて、
やらされているわけでもなく、自ら学びたくてここにいるから。
「あなたはコロナ禍があって、今勉強をしたいですか。」
「あなたはコロナ禍があって、今勉強をしたいですか。」
と言うアンケートを先日学校でとりました。
45%くらいの生徒から、
「勉強したくない」と言う返答が返ってきました。
なんだか切ないけど、でも、自分が高校生のときだったらどうだろうと思うと、
同じだったかもなって思ってしまいます。
小中学校は勉強が面白かったのにな。いつからそうなったんだろう。受験の手段として勉強してたのかな。なんて思ったりして。
まとめ
主体的に学びたくなるようなスイッチはどこにあるのか。
私はいつそのスイッチが入って、今ここにいるのか。
彼らの一人でも多くのスイッチが入るような学校でありたい。
めちゃくちゃとりとめなく、書きました。
それでも内容が十分でなくてもこれからも書き続けますよ。
是非、定期購読お願いします笑
※今日はこの後、ゼミ。
今日の発表者の資料を読んで、すごくテンション上がっています。
これまでやってきたこと、これからやろうとしていること、すごく面白い。
今日も「主体的・対話的で深い学び」になりますように。
コメント
お久しぶりです
染谷の羽田くる美改め、加藤くる美になりました笑笑
去年から幼稚園でも主体性を求められるようになりました。
去年は年長、今年は年少の担任をしています
去年は急に、「主体性」が始まって、子どもたちで話し合って考えて、決めていく行事などを行いました
でも知識や基本がないとなかなか主体性は出ないんじゃないかなと思っていました
なので今年は子どもたちが自分で選べたり、考えたりできたりする保育を目指していきたいと思いました
これが合っているかは分かりませんが、、、
結果、主体性って難しいです
幼稚園の主体性と高校の主体性は違うと思うのですが、また教えてください
意味の分からない文ですみません
長文失礼しました!
加藤くる美さん
久しぶり笑笑
最初のコメントありがとう。嬉しいよ。
あまりに的確なコメントで驚きます。ホント成長してるね。
>去年は急に、「主体性」が始まって、子どもたちで話し合って考えて、決めていく行事などを行いました
>でも知識や基本がないとなかなか主体性は出ないんじゃないかなと思っていました本当にそうだよね。
本当にそうだね。
「さぁ、みんなで考えて好きなようにやってみよう!」
でできたら、苦労はないよね。
何もないところからは、何も創造されないね。
私は普段、ベースとなるアウトラインはこちらきちんと示して、
その上で子どもたちが、それぞれが考えて自分のやり方を選べるようにしているよ。
高校生だから、そこはディスカションして「なんでそう思ったのか。」って言うことは
何度も話すようにしているかな。その上で本人の意思を尊重している。
あとは最初から「どうしたら良いですか。」って聞いてくる子には、
「私は〇〇をしたいと思うんですが、どう思いますか?」って聞くことが大事だよ。って質問してほしいと話をしている。
こちらに答えがあったとしても、相手の考えを先に聞くようにしてるかな。
このことはいつも意識している。
あれ、幼稚園児にもできそうだね。
今日の大学院のゼミでも「子どもたちが選べるように支援している」って話をしている小中学校の先生もいたよ。
くる美が考えている方向性はあってるんじゃないかな。
正解はないのだろけど、徐々に私たちの手を離れて、子どもたちが自分の足でどんどん前へ進めたら良いよね。
私は最後は自分の存在を消していくことを目標にしているよ。
(くる美たちと出会ったときの私は存在感ありすぎました笑 反省してる。)
子どもたちだけじゃなくて、私たちにとっても深い学びは大事だね。
子どもたちとはもちろん、同僚の先生や保護者の方との対話、
こうして主体的にコメントくれることも、本当に学びになるよ。
また、ぜひコメントください。お互いに深く高め合っていきましょう!
ありがとう(^^)
そして結婚おめでとう笑笑(今更)
[…] 設定の中にアドレスを書くところがあるのですが、ここをちょっといじって他のアドレスを書き込んだら、WordPressにログインできなくなってしまいました…管理画面にアクセスできない。すなわち、ブログを更新できない。この時はマジで焦りました。正直、どうやって直したのか正確に覚えていません。あらゆる手を尽くしましたが、最終的にはどうにか管理画面に入れて、アドレスを書き換えることができました。これは本当にやばかった。このことは2日目のブログにも書きました。 […]